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「聞き手頼りの日本語」の中でのICT教育

2020/05/24

ICT教育が、子どもが創造的、主体的になることを目指すわけ

 

 前回ICT教育の大きな目標は、主体的、創造的に行動していける子どもの育成であることを確認し、その育成に必要な問題解決思考(「プログラミング的思考」)の考え方を紹介しました。このような考え方を子どもたちは小学校で学んでいくわけですが、そもそも、なぜ子どもは創造的、主体的になることが難しいのか、今回はそのわけを「聞き手頼りの日本語」を通して考えてみましょう。

 

日本語を喋る子どもは気を遣って生きている

 

 一般に大人が子どもをイメージする時には、子どもとは、無邪気や純粋、守るべき存在など共に、常識にとらわれない、のびのびとして自由などと思い浮かべるのではないでしょうか(出典)。大人が抱くそのようなイメージとは裏腹に、子どもは自分の身の回りの世界に対し驚く程気を遣って生きています。

 なぜかと言うと、日本語は聞き手に頼った言語だと言わるのがその理由の1つです。すなわち、日本語を使う時には、話す人がわかりやすく説明すること

を心がけて話すことよりも、聞く人が相手の言いたいことを察してあげることの方が重要視される言葉だという意味です。もちろん、日本語を使ってコミュニケーションをする子どもも、その例外ではありません。

 

言わずに察してもらうコミュニケーション

 

 例えば、「明日遊びにいこうよ」と、子どものあなたが友達から誘われた場面を思い浮かべてみましょう。それに対して、明日は都合が悪いあなたは「いいねー。でも明日は、お留守番してなきゃならないんだよね・・・」と語尾を濁すことで、明日は予定が合わず遊べないことを相手に伝えようとします。

 このような言動は、はっきりと「いける」や「いけない」とは言わず、確かな返事をしないことや代わりの予定を伝えることで相手から「じゃあ、また今度ね」と言われるのを期待していると言えます。言い換えれば、あなたは相手が察してくれるのを待っているのです。これでは、もともと言語が持っている「相手に気持ちや情報を伝える」という意味は、日本語の場合ではうまく働かず、代わりに相手の感受性任せになっていると言えるでしょう。

 このような状況では、子どもが主体的になることは、図々しいや自己中心的とされてしまいかねないため、難しく、また決められた型から外れてしまうため、空気が読めないなどのレッテルを貼られやすく、創造的になることも評価され難かったのでしょう。

 

日本語を背景にしたICT教育

 

 ICT教育の目標とする主体的、創造的に行動していける子どもの育成が、問題解決思考とつながっているのには、日本語が聞き手に頼って言いたいことを察してもらう言葉だからという背景があることで、より理解が深まったのではないでしょうか。

 聞き手に頼りきりになりやすい日本語を使う私達も、時には自分の伝えたいことをはっきりと伝え、問題解決や感情や情報の伝達を試みるのもいいかもしれませんね。

 

 

 

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